経済・政治・国際

シビリアン・コントロール????

昨日、国会で田母神前航空幕僚長の参考人質疑が行われた。日経新聞を引用して考えてみたい。

質問者「参考人は別の雑誌にも同じ趣旨の論文を発表している。注意はあったか。」「注意はありません。」防衛相「雑誌の性格は部内紙であり、そこまで目が及んでいなかったのは事実だ。」質問者「今回はチェックしたから職を解いたのか。」防衛相「航空幕僚長という立場でその見解をわれわれに通知せずに発表したしたことが極めて問題だ。」質問者「田母神氏は今年5月、東大で講演している。講演について石破茂元防衛相が原稿をチェックしたのか」「元防衛相からは十分注意しろという指導を受けた。」

質問者「論文で集団的自衛権や武器の使用について見解を述べているが、政府解釈や憲法を改正した方がいいという気持ちで書いたのか。」「その時点では、一般に話されていることをまとめて書いただけだ。今はもう(憲法を)改正すべきだと思っている。国を守ることについて、これほど意見が割れるようなものは直した方がよい。」質問者「集団的自衛権も行使し、武器も堂々と使用したいというのがあなたの本音か。」「私はそうすべきだと思います。」

質問者「今回問題となって空幕長を更迭された。感想はどうか。」「村山談話と異なる見解を表明したということで更迭された。私は見解の相違はないと思っているが、防衛相が不適切だと判断し解任するのは政治的に当然だ。私の書いたものはいささかも間違っているとは思っていない。」

(日本が侵略国家とはぬれぎぬ)について質問者は「侵略の定義は世界中の立法府で討議している議題。(論文は)三権分立に対する挑戦では。」防衛相「憤慨している。極めて不適切な発言で責任の大きさは感じてもらわなければならない。だから空幕の職を解き退職していただいた。」

質問者「大臣らが減給する重大問題なのに、その判断(懲戒手続きは時間切れとなる見込みから定年退職としたこと)は軽い。」防衛相「空幕長を更迭した時点で懲戒処分するしないということより、その重さを自覚しもらいたかった。自衛隊の中で政府見解と異なることを新たに主張し、それが表に出て自衛隊員の士気が落ちることにつながるのを避けたかった。」質問者「時間がかかると国民の理解が得られないので降格としたのか。」防衛相「その通りだ。田母神氏が身分を保有したまま政府見解と異なる自らの意見をさらに主張することがあれば、自衛隊内外に与える影響が大きい。退職という措置は適切だったと思う。」

質問者「統幕学校の一般過程に外部講師を招き日本の国家観・歴史観を学ばせる科目の創設を主導したのか。」「日本の国を良い国だと思わないと頑張れない。きちっとした国家観・歴史観なりを持たせなければ国は守れないと思い講座を設けた。」質問者「政府見解にも反する歴史観を自衛隊幹部に教え込んでいる。」

質問者「田母神論文は歴史を改ざんしている。政府や現職の自衛隊諸君が「悪かったこと」「教訓にしなければいかんこと」を踏まえた国家観や歴史観を持たなければ、その刃がどこに向くかは戦前の日本の軍隊が示している。」「おっしゃっていることが全面的に正しいとは思わない。「悪いことを日本がやった」と言うんであれば「じゃあやらなかった国はどこですか」と私は論文に書いている。日本だけがそんなに悪いと言われる筋合いのものでもない。」

自衛隊は鉄砲や大砲・戦車・ミサイル・艦船・戦闘機等の武装した集団である。田母神前航空幕僚長の解任に端を発して、日ごろなかなか垣間見ることのできない責任ある立場の自衛隊員の考え方の一端を窺い知ることができた。そこで、憲法や政府見解と自衛隊の関係、そして憲法や政府見解と自衛官の関係、シビリアンコントロールが貫かれているとはどういうことか、今一度考える機会を図らずも得た。様々な論点を孕んでいると思われるが、国会に於いてはうやむやに終わってしまいそうである。

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アメリカ大統領選挙の感想

アメリカ大統領選挙の結果の報道に感動しています。

アメリカという国の心の広さと、深さ、そして国民の行動力に感激しました。約3億人のアメリカで今回の選挙で投票した人は1億2,500万人程度。その内6,560万人位がオバマ氏を支持したことになる。1961年に就任したケネディ大統領の時代に最高潮を迎えた公民権運動は、50年代から60年代に展開されていたのである。それから、50年の歳月が流れ、アフリカ系アメリカ人のルーツを持つオバマ氏が大統領にほぼ当選したという出来事は特筆すべき事柄であるし、アメリカの変化を感じずにはいられない。まさにアメリカンドリームと言えるかもしれない。10年弱の政治経験しかない人を大統領に押し上げるアメリカの底力に逞しさを感じています。

そして何よりも、「アメリカは一つの国だ。変革の時が来た」と訴え「リベラルなアメリカも保守的なアメリカもない。黒人のアメリカも白人のアメリカもない。あるのは、アメリカ合衆国だ」と国民の団結を訴えたことによって、民主・共和の政党を超えた支持を集めることができたのだろうと思う。

そして、大統領選挙では、多くの人が参加できる仕組みをオバマ氏は用意して選挙資金を集めると同時に、多くのボランティアが選挙運動に参加した点でもアメリカを変えたのだろうと思います。日本では公職選挙法によって選挙活動が定められていますが、政治に多くの人たちが参加するには、規制が目立ちます。もっと多くの人が政治に参加できる仕組みを考えなくてはならないのでないかと思います。こうしたことを考えないと二世・三世と言われるような人たちが跋扈する政治から脱却できないように思われる。

オバマ氏の当選に、感動を受けたものであるが、オバマ氏の政治手腕はこれから試されることになる。20世紀に持っていたような大きな力をアメリカは徐々に失っていくと考えていますが、今だ大きな力を持った国であることには変りない。一方の極に富が集中し他方では1日1ドル未満の生活をしている多くの人が世界に存在している現実が、テロや地域紛争を根絶やしにできない現実もある。

日本という国も大きく変わらなくてはならない。変わらなければならないのは政治であろう。為政者が自らを保身するような制度を改め、多くの人が参加できるような政治システム、開かれたシステムを構築することがこの国の課題なのかもしれない。

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レベルが低いぞ、自民党総裁選

自民党総裁選が始まりました。候補者5人が総裁を目指して立候補したとしています。

それ自体疑いたくなるような候補者もいます。次の衆議院選で勝つためには、この総裁選で少しでも格好をつけておこうとする候補者と思われる人も見うけられます。総裁になろうという人は1人でしょう。他の候補は他の理由のために「立候補」したとしか見えません。「渡り鳥」が真に自民党のことを考えているとは思えませんし単なる上昇志向の表現なのではないでしょうか。それと次の自分の衆院選のことでしょうか。

しかも、年金問題、行政の無駄問題、外郭団体の整理、高齢者医療問題、一つも進んでいるようには見えません。そして、経済状況を「ネタ」にして、かわり映えのしないことを言っています。しかも肝心なことについては、抽象的なことで言ったようなつもりになっている。とんでもないと思います。

恒例となった自民党の「秋祭り」は、自民党の多くが意志も能力もない人を総裁・総理にまつりあげ、2人続けて途中で投げ出した、なぜこういう人を選んでしまったのか、そのことについて釈明し、空白を作ったことについて国民に謝ることが先決のように思えます。

確かに近くなった衆院選に勝ちたい気持ちはわかるが、当面するそんなことより、この国の将来イメージを国民の前に示してもらいたいものだと思います。そして宿題となっている課題について「いつまで」に処理するかハッキリしなければならないと思います。年金問題も当初の約束では今年3月には片付いている筈です。そして課題の多くは行政内部の問題です。5人が民主党攻撃をしているようでは、所詮「秋祭り」で、街頭に出て大いに恥をかいて衆院選に負ける盤石な体制を作ってもらいたいものだ。

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家庭ごみ有料化問題

 家庭ごみの有料化は、ゴミの減量を図ろうという狙いのほか、分別の徹底や有料化財源を活用したいなど、行政側の思惑はいろいろあるようだ。しかし、ゴミ処理費用がかかるからと言って、その負担を各家庭=消費者に求めれば事足りるのであろうか。

 ゴミの種類にもいろいろあって、主に台所から出る厨芥は、コンポスト化に取り組むことが大事であるが、一番の問題はビニール・プラスチック系のゴミ処理であろう。ビニール・プラスチック類は多種多様で処理のしようも異なる。ペットボトルについては、それだけを分別して回収しリサイクルに回している自治体も多い。しかしそれとて、引き取りで業者が受け取る金額と埋め立て処分の金額差に目をつけ、リサイクルに回さず埋め立てている悪徳業者が存在していることが報道されている。そうしたことによって環境破壊が進んでいます。

 ゴミを発生させないためには、ビール瓶や牛乳瓶のようにビンそれ自体が回収され再利用されるようなシステムが必要になってきます。そうしたことに着目して拡大生産者責任の考え方が導入されたのですが、日本の場合は実に不十分な状態となっています。拡大生産者責任は、消費後の段階で、生産者が生産物によって発生した廃棄物に対して負う責任で、廃棄物の処理費を負担することになります。現在は市民が納税した税金でゴミの処理費を負担していますが、生産者が負担することになるのです。そのことによって多少ゴミの処理費が価格転嫁されるかもしれませんが、税で処理する制度が大きく転換できます。

 西日本のある都市では、いわゆる資源ごみも有料化しているところがあります。こうした制度は本末転倒と言わざるを得ません。

 分別の徹底を図ると同時に拡大生産者責任の制度を充実させ生産者がごみ処理費用をきちんと負担することが必要と思います。

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家庭系ゴミの有料化問題

 家庭系ゴミの有料化にあたって行政側は徴収の根拠を、地方自治法に定める手数料で徴収しようとしている。地方自治法では地方公共団体が市民等からその収入とすることができる項目について定めている。その第1は、言うまでもなく地方税である。その他に分担金、使用料、手数料などであるが、ゴミの有料化に当たっては「手数料」として徴収することにしている。

 そこで、手数料が徴収できる原則を定めた地方自治法は「第227条 普通地方公共団体は、当該普通地方公共団体の事務で特定の者のためにするものにつき、手数料を徴収することができる。」と定めている。住民票の交付手数料や各種証明の手数料は交付を依頼・希望する者が特定の者であることから手数料を行政が徴収している。しかし、市民生活を営む上でゴミを出さない生活者がいるであろうか。およそゴミを出さないで生活することは困難である。家庭系ごみを排出する市民全体を「特定の者」ととらえることには無理がある。であるから道路もそうであるように、税によってその処理等が行われてきたのである。

 これは、税金の二重取りと言えるものである。現在各地で進められている単価から推察すると徴収する年額は、人口16万人程度で4億円程度。後は人口比で計算するより仕方ないが、その半分は、袋の製造等に係る経費で、残りの半分が自由に使えるお金ということになる。民間では、「乾いた雑巾から絞り出す」ような努力を続けているにも拘わらず新たに市民に負担を求めるにあたって、行政はそのための努力をどのようにしてきたのであろうか。

 昨今、ガソリン等の燃料費をはじめ様々な物の価格が毎日のように上がっている中で、国においては様々な「無駄遣い」が指摘されている。地方においても似たようなことはないのか。現状を漫然と追認する姿勢を改め、抜本的で徹底的な見直しを行い、税金の二重取りになるような事態を避ける努力が必要である。

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家庭系ゴミの有料化問題

 家庭系ゴミの有料化問題が各地で持ち上がっている。家庭系ゴミを有料化してゴミの減量を図ろうという狙いのほか、分別の徹底や有料化財源を活用したいなど、行政側の思惑はいろいろあるようだ

 しかし、家庭系ゴミの有料化は、ゴミの減量を真剣に考えて提案されたもので無いことは明白なことだ。地球温暖化がクローズアップされて時に「為政者」が「自分の在任中」のことしか考えていない場当たり主義的な発想であることは明らかだ。これほど無責任な発想に腹立たしい思いがする。

 ごみを減量するためには、徹底的な分別と資源化・再利用が必要で、さらにゴミを出さないことが必要であることは自明のことである。現在主流の「ごみ焼却」の発想から抜け出さない限り資源化・再利用の道筋をつけることはできない。

 地球温暖化ガスの発生を抑制するには焼却するゴミの量を劇的に削減することが求められている。プラスチック類の再利用や油化等の資源化を進めるために徹底的な分別が必要であり、さらに、台所のゴミについてはコンポスト化=堆肥化を進める必要がある。カン、ビン、ペットボトル、古紙、古着、食用廃油等も資源として再利用するために分別区分を細分化し資源化のためのシステム作りを行政が進める必要がある。また製造者側も応分の負担をする必要がある。

 行政は、例えばコンポスト施設を小地域ごとに設置して、設置された地域ではこれらを自主管理し、正しく利用することを地域で話し合い決めていくことが必要である。こうした施設設置場所にゴミ出し日を決めて他のゴミの一時的な集積場所として活用し、地域ごとで正しいゴミの出し方を、お互いに教えあうことも必要になろう。

 家庭ごみの有料化は、こうした本来あるべき方向へ進むのではなく、地球環境の問題を金を取って抑制するという・・・・・・しかも本質的に、抜本的に解決しない誤った道へ住民を引き込むことになる。金さえ出せばゴミはいくらゴミを出してもかまわないとする道へである。

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社保庁改革????

 年金の被保険者として強制加入させられて払い込んだ保険料が「誰の納付分か分からない」件数が5,000万件、その外にも続々出てきています。窓口では「証拠を持って来い」とばかり被保険者が泣き寝入りする対応を行ってきた。「申請主義」だからだそうだ。「強制加入」させて払い込んだ保険料をうやむやにしておいて「申請主義」とは都合のいい話である。

 そもそも、年金に関する社会保険庁の仕事の中心は、払い込まれた保険料をきちんと記録することである。作業方法が変わるたびに不明が続々出て来るような変更が行われたことが「シンジラレナイ」。それさえできなかったということである。記録が軽視されていたということである。

 一方で、グリーンピア建設で払い込まれた保険料を湯水のごとく使い、挙句の果てに二束三文で叩き売り、誰も責任を取っていない。更に保険料で公用車や職員の福利厚生だとか使いたい放題である。

 塩川元財務大臣が、国の一般会計と特別会計の現状を見て、いみじくも言っていたように「母屋ではおかゆをすすっているのに、離れではすき焼きを食べている」。一般会計は経費の縮減を進めているのに特別会計はお構いなしであるとなっていたのだ。

 宙に浮いた納付記録について、すでに関係者には周知されていたようである。安倍首相でさえ今年2月には知らされていたという。即座に対応策を検討しないで民主党に質問されてあたふたしている。そして、選挙まじかとなってあれもやりますこれもやりますと媚を売るように言い出す始末。国民に分からなければ適当にやっていればよいという姿勢であろう。国民生活の重要な福祉担当セクションである厚生労働省が次から次と問題が出てくるのは、福祉を軽視しているからである。それを美しい国というのであろうか。

 安倍首相は国民の側に立っているとは思えないが、街頭演説で野党を批判して「野党は言うだけで何もやっていない」といっていた。この人はまともに勉強したんだろうか。イギリスでさえ野党は自らが政権を取った時にこうしますという「マニフェスト」を示すだけで与党のチェック・批判を行うことが野党の役割となっている。首相は行政の長であるわけだ。立場が逆転したときには、どのように言うのであろうか。おばかさんだから言ったことはすぐ忘れてしまうのかな。

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ザルにザルをかぶせて規制できるか

 政治資金規正法の改正が予定されている。資金管理団体に対する規制を行うというもので、政治団体全体に対する規制の強化ではない。

 日本の政治の中で「政治と金」は古くて新しい問題だ。政権中枢を揺るがす事件としては、記憶に新しい事件としてロッキード事件、未公開株で政治家対策を行ったリクルート事件、古くは造船疑獄事件など枚挙に暇がない。

 しかし今回も、ザルにザルをかぶせ規制しているかのように見せかける改正案を自民党・公明党は委員会強行採決を行っている。

 物事を抜本的に変えず抜け道をつくることで、延々と国民に顔を向けた政治が遠のくのかと思うと、いい加減にして欲しいと思わざるを得ない。

 年金問題の混乱に輪をかけるように「社会保障番号」の導入だなんて、呑気なことを言っていていいのでしょうか。基礎年金番号の導入によって年金の納付記録の統合がうまくできかなったのではないのか。反省を踏まえれば、まずは現在の混乱を解消し、「消えた年金納付記録」をしっかり整備してから、次の問題を考えるくらいのことが必要だと思う。混乱に拍車をかけるようなまねをすべきでない。

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民主党のマニフェスト

民主党が夏の参議院議員選挙のマニフェストに「子育ての問題は非常に大事だ」ということで「中学卒業までの子どもを対象に月額26,000円を支給する『子ども手当』の創設など、子育て支援策を柱の一つにする」考え方を明らかにしている。

手当を支給するという経済的な子育て支援策を国が制度として創設することは、歓迎すべきことである。しかし、制度の創設にあたっては、所得制限等の問題が出てくること考えられるが、所得の再配分として行うのであろうから十分効果の得られるような制度にしてもらいたいと考えます。

しかし、子育て支援策は経済的な問題もさることながら、子育て中の保護者の仕事の時間のあり方についても“制度”の創設を進めてもらいたいと思う。日本で父親が子育てにかかわる時間は統計で見る限り非常に少ない。この原因が全て仕事によるものとは考えられないにしても、主な要因が仕事時間にあることは疑いないのである。残業が当たり前の状況では安定した子育て家庭の環境とは言えない。法律によって残業を規制するなどの措置が必要と考えられるので、検討してもらいたいものだ。さらに、保育園の増設などの待機児を出さないための措置である。現在はフルタイムで働いている保護者の子どもでさえ認可保育園に入れない状況がある。まず、フルタイムで働いている保護者の子どもが入れるように整備するとともに、パートタイムで働いている保護者も認可保育園が利用できるように増設する必要がある。また、自宅で子育てをしている保護者が気軽に利用できる子育て支援施設、特に初めての子育ては、迷いや分からないことが多いのでベテランの専門スタッフが揃っているような施設は、初めて子育てに取り組んでいる保護者にとっては嬉しい施設です。こうした施設が、子どもをベビーカーに乗せて歩いていける距離に整備する必要があると思います。また、こうした施設では、子育てに必要な離乳食作りやスキンケア、子育て相談など子育てに関する事柄をワンストップで行える施設であって欲しいと思います。これらの事も子育て支援施策として是非検討してもらいたいものだと思います。

これ以外に子育て支援施策はまだまだありますが、「早寝、早起き、しっかり朝食」よりはいいのではないかと思います。

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教育再生に思う・・・2

沖縄タイムスは、20日に開かれて衆議院教育再生特別委員会の質疑を取り上げて「論戦不発 識者は反発/「集団自決」修正」と報じている。

「集団自決」の記述が教科書検定で変更されたことについて、伊吹文科相は、民主党の菅直人代表代行の質問に答えて「『集団自決』をめぐる今回の教科書検定について『すべて軍の強制によって、または手りゅう弾で自決したとは言い切れない。専門家は、軍の関与がなかったとは一言も言っていない。軍の関与がすべてあったということではないと言っているだけだ。一方に偏った記述はしないというだけのことだ』との認識を強調」と報じ「こうした答弁について高嶋伸欣琉大教授は「申請図書は『日本軍に集団自決を強制された人もいた』などと書いただけ。『すべて』と書いたかのように言うのは、問題のすり替えだ。強引な検定が生んだ事態を収拾できず、苦し紛れの言い訳を重ねている」と批判した。」と報じている。

そしてさらに民主党の菅直人代表代行が、安倍首相に「沖縄戦観を問われ、『(検定の問題は)史実がどうだったかという議論であって、総理大臣がそういうことをいちいち言うべきなんでしょうか』と明確な答弁を避けたことに対して「高嶋教授は安倍首相の発言についても『沖縄戦の経験は、首相が目指す改憲の危険性を表す。それを察知し、逃げの一手を打っている』と指摘した。」としている。

教育問題という大きな課題、特に安倍首相は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、戦後の「自虐史観?」を一掃して憲法を改正し「美しい国は強い国でなければならない」とする方向に進もうとしているのであるが、この方向に対して、国会での議論が無駄なものでなく、教科書検定で変更を求められた筆者に尋ねるという形で載せた記事が少なかったこと。朝日新聞は、「教育3法案議論生煮え」として読み物風な記事で議論をもっと丁寧にまとめ本質を捉えたものであって欲しいと感じました。

人々の生活の基礎は平和にこそあります。バクダットやアフガンは平和でないため夢を持って生活することとは程遠い状況にあると思います。関心を持って行きたいと思います。

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慰安婦・・日本軍の強制が???

第2次大戦時の従軍慰安婦に日本軍の強制があったのか、なかったのか。改めて15日付の朝日新聞に記事が載った。記事に載ったのは、先に安倍首相が軍の強制は「なかった」とする見解を述べたことにより、真実はどうなのかということで記事になった。

新聞によれば、この問題をめぐり「東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。」という書き出しで「(証拠資料は)裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。」という。そして記事は「オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。『抑留したのは彼らを淫売屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります。』。そしてされに「46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れて行き、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの『娼楼(brothel)』で働かされることを知ったという。『労働日には娼楼は日本人将校のために、日曜日午後は日本人下士官のために開かれ、日曜日午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった』」となっている。

ドイツのヴァイツゼッカー元大統領は、戦後40年に当たる日に演説を行いその中で「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」(ヴァイツゼッカー大統領演説集、永井清彦・編訳、岩波書店、1995年7月26日)と訴えています。

これら資料について「林教授は『これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これら文書の意味は無視できないだろう』と話している」としている。

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地方選挙後半戦

市町村長等の選挙が始まる。首長選挙は、住民の生活に直結した市町村行政において、どこに力を入れて行政を展開しようとするのか候補者に明らかにしてもらいたいものだ。分かりやすい主張もなく何をやろうとしているかわからなくても、「いい人だから」で当選してしまう首長がいるとすれば将来に禍根を残すことなる。

 夕張市のように多額の起債残高(借金残高)を抱えたとしても、行政は失政の「責任」をとるシステムになっていないからである。民間会社であれば事業の失敗について当然責任が問われ、会社に損害を与えたならば個人で損害賠償することになるが、行政はその責任者が責任を問われないで、住民がこの借金を返していかなければならないことになる。夕張市では、行政サービスは悪くなり負担が増加することが明らかで人口の減少が続いているという。転居しようにも転居できない高齢者を中心とする住民が取り残され負担だけが重くのしかかる。夕張市から学ぶべき点を2つ挙げたい。一つは、意思決定のための政策議論が重層的に行われたかという点である。事業に取り組むにあたって費用対効果が議論され、まちの発展にとって本当に有効かどうか議会や市民、有識者といわれる人たちも含めて広がりをもって議論が行われたのだろうか。もう一つは、公務員として仕事をしている市職員は「行政のプロ」としてこれら議論にどの程度参加し得ていたのだろうか。唯々諾々と仕事をしていたとは考えたくないが、社会の動きに疎かったと思わせられるような結果になってしまっている。

分かりやすい情報の積極的な公開や分かりやすい政策を首長候補には掲げてもらいたいと思うし、住民が選択しやすいような主張を候補者には行ってもらいたい。そして「多党相乗り」ではなく住民に選択肢を広く提供してもらいたいものだ。

市町村議員の選挙も同時に行われる。市町村の人口規模によって議員数は異なるが多くの議員が誕生することになる。その誕生に仕方である。

地方議員が政策を掲げ立候補しているが、地方議員の政策立案機能が弱く首長は職員を動員しているのに比べ議員は限られたスタッフでしかない。そこで、議員の対する選択基準が「地縁」や「業界縁」など限られた選択基準になっていて、議員個人が何をやろうとしているかより、現実的には選択基準を「首長との関係」で判断するほうが適切に判断できると思われる。首長を支援する立場を表明していると、首長提案に対してよほどのことがない限り賛成の立場になり「是々非々」で行きますとは言っても反対の立場を取ることができないことがほとんどであろう。

議員1人では何もできない。議員は議会内会派を構成し、会派の大きさによってスペースを始め常任委員会の委員数、質問時間まで割り振られることから、地方議員になればどこかの会派に加入する。また会派は個人に対して一定の拘束を行い賛成・反対の意思表示を会派で決めることさえある。従えなければ会派を出ることになる。

そこで、地方議員の選挙では、会派として纏まりがあり、首長との関係で本当に「是々非々」を貫けるような人たちを応援したいものです。なぜなら首長はいろいろな「しがらみ」で動いていることを前提として、きちんとチェックできることが必要だと思われるからである。

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地方選挙

 宮崎県で東國原知事が当選され、宮崎県のために一生懸命働いている様子がテレビ等で放送されています。宮崎県民は知事を身近に感じているのではないでしょうか。良いことだと思いますが、知事は人気商売でないのでこれからが真価を問われると思います。

 地方選挙が行われて、注目の東京都知事選挙の「続投」という結果が出ました。東京都の場合は、様々な候補者が出揃いましたが、候補者が出ただけ選挙民にとって「選択肢」があったんだろうか、と思います。各政党は日ごろの活動を通じて選挙民に対して「選択肢」を明らかにする必要があるのではないでしょうか。多くの知事選挙では、「多党相乗り」では選択肢がありません。そして国政では、わが党へと言われても、本当は何を考えているのか良く分かりません。 

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