地方自治

これで良いのか「地方自治」

 4月の選挙後6月に議会が開かれているところが多い。選挙後の首長の姿勢が如実にしめされる機会でもある。選挙でお願いしますと頭を下げていたが、当選すると途端に態度が急変する首長もいる。

 あたかも長期的展望を持って行政を進めているような主張をしていたが、実際にやっていることは「目先の対応」で、市民生活とは関係なく美辞麗句を並べている首長がいる。問題に対して積極的に取り組んでいるように言いつつ、確固たる方針を持っていないため「事なかれ」でお茶を濁しているのが実体なところもある。

 市民参加を標榜している首長が、市民から提起のあった「住民投票」については、自らのフリーハンドを確保するために否定に回ったりしている。否定する前に提起した市民とどれだけ話し合ったのか、そこが問題である。けれども、十分な話し合いすら行わず否定に回るとは「標榜していることは何か」「なぜ標榜したいのか」本質を見抜く必要が住民にはある。

 実際、東京のM市では選挙の投票が行われた直後の5月1日付で市職員の人事異動が行われた。従来、幹部職員の異動については、予め市議会与党に話をする慣行があった。しかし、今回は、話がなかった。市職員の人事異動であるから首長の権限であるといえばそれまでだが、一方で市議会に協力を求めながら他方で自分のやりたいことはやらせてもらうというやり方は、それぞれの権能に基づいて今後は態度決定するということか。また、その人事異動では、イエスマンを重用し、全体的な視野や職員として優れていると思われている者であっても外郭団体や首長と異なる任命権者へ人事異動している。あきれた実態と言わざるを得ない。

 物事をトップダウンですべて成していこうとするとき、イエスマンは「重宝」なものである。しかし、ゼウス神でもあるまいし全てトップダウンで成していこうとするところに無理があり、失望した職員は積極的に仕事をしなくなるだろう。行政のNo2、No3が部下の職員に指示した事柄でも、首長が別な意見を述べると同席しているNo2、No3が指示した事項についての必要性を述べるのではなく、唯ひたすら沈黙を決め込み、指示された者が謝るという構図では、誰が積極的に仕事をしようとするのでしょうか。

 一部ではあるが、こうした地方行政の現実を変えるために少しの努力が必要かもしれません。

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「市議会議員は半分不要」ですか

今朝の新聞によれば、15日に開かれた政府の地方分権改革推進委員会で猪瀬直樹委員が「市議会議員は半分要らない」と発言され、それに続いて「地方自治体は放漫経営」「夕張市だって大阪市の放漫経営だってチェックしなかったのは議会」「高い給料を貰って三流の存在」などと委員の発言が続いたそうである。確かにそう言われても止むを得ない部分もある。

首長が提案した案件について、与党だからといって内容について十分な検討もなく「賛成」しているようでは半分になっても状況は余り変わらないと思われる。議会ないしは議員は「チェック機能」を果たすことだと「勘違い」しているから起こる問題だと思われる。二元代表制は、議員も市民の代表として住民の福祉のために「議員立法」をすることができるし、市民の意見を聞くと同時に議会内各会派と協議して立法活動を行うことができるので、そうした「能動的」に活動しているかどうかにかかっている。市町村議会における議員立法は、皆無に近いと思われる。

今年3月末に、議員年金問題で任期末まで務めることなく辞職した議員がいた。理由は4月には議会日程がないからという理由であった。能動的に活動していれば議会の日程があるかどうかではなく、住民の福祉の増進のために活動することがあったと思われる。市会議員になることが名誉職であるようなイメージを払拭してもらいたい。その上で住民の福祉向上のために首長に対して質問するだけでなく、自ら掲げた政策をよく現況を調査して、実施するための手続き、条例にするために計画を立案してもらいたいのである。

そうでなければ、地方分権改革推進委員会で出されたような意見が大勢を占めて「議員不要論」に発展し、首長になればフリーハンドで何でもできるようなことになり、執行側のブレーキやチェック、政策論争すらなくなっていく事態になり、バランスの欠けた状態になりかねない。

市町村議員の積極的で能動的な活動に期待します。

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「ふるさと納税」って変ですよ

菅総務大臣が言い出したふるさと納税が、夏の参議院議員選挙の自民党の公約に盛り込む方向で検討すると幹事長が言い出した。自民党幹事長は別なところではNPO等への寄付は納税額の一部とする扱いをするようなことを言っている。

ふるさと納税を言い出した背景に「地方の財政格差」問題があることです。従来、日本全国どこへ行っても最低限の行政サービス「ナショナルミニマム」が受けられるように地方交付税制度があり基準財政収入額が基準財政需要額を上回った場合には普通地方交付税は交付されず不交付団体となり、下回った場合は普通交付税が交付される仕組みで3割自治(国が7割、地方が3割の財源で7割が地方行政、3割が国の行政の意味)といわれる財源不足の地方を国が制度として補填してきた。しかし現実は、普通交付税の交付団体が圧倒的に多く不交付団体は少ないのである。国は従来地方に交付していた地方交付税を「そっくり」地方の財源委譲することなく、財政再建の名のもとに「減額し」て財源委譲を行おうとしているため、また、今までに行ってきた「減額した」財源委譲によって地方財政にいわゆる格差が生じているのである。したがって地方の財政格差は、元を糺せば自民党政権が作り出した「地方財政格差」なのである。こうしたことは、自ら実施してきたことにほおかぶりし責任を放棄して、あたかもそれが地方の間の問題であるかのように、新しい制度を創設しようとするのは噴飯ものである。

国において徹底した行財政の見直しを行い、高級官僚の天下り先となっている特殊法人や外郭法人等の統廃合を行い無駄を省き予算を削減したならば少しは理解できるとしても、省庁の統廃合を行っても相変わらず権限を留保し職員数も申し訳程度に削減しているようでは、しっかりやることをやってから出直して欲しいものである。

また、中川幹事長が言い出したことだって何も新しいことではない。すでに千葉県の市川市(だったと思うのですが)が実施していることである。納税者の申し出によってNPOの財政支援をする原資に積み立てられる制度を数年前から行っている。

この国の行政のあり方を抜本的に再編し、国・都道府県・市町村の事務領域を明確に区分して国が行う事務は国が、都道府県の事務は都道府県が、市町村が行う事務は市町村が行うように改め、実施上関係する場合にはそれぞれが協議するシステムにすれば合理的に行政ができると考えられる。例えば国が法律を作り、施策として実施する場合で都道府県に委託する場合は、事業費及び人件費を国が全額負担をするようにする。同様に都道府県が条例をつくり施策を実施する場合で市町村に委託する場合には事業費及び人件費を都道府県が全額負担とすべきである。現在のように国が法律をつくり、実施に当たっては都道府県及び市町村の財政負担割合を定める、都道府県が条例を作成し都道府県と市町村の財政負担割合を定めるようなやり方は、責任の所在を不明確にするばかりか、地方財政を圧迫する元凶となっているといえる。本来、都道府県や市町村が自由に使える税金が、国や都道府県の施策による負担で使えなくなるのは、行政のあり方の問題として見直しが必要である。子どものお年玉を、親が少し足してあげるから親の言うものを買いなさいといっているようなものである。こういうことはやめましょう。

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土地利用とまちづくり

日本の都市で人口が増加したところ、人口が増加しているところは、農地をつぶして町の中心から離れるように外側に向かってどんどん大きくなっています。そして、どのまちにも起こっていることですが、近隣商店街がさびれ閉店するお店が少なくありません。年齢を重ねると遠くまで自動車を運転して買い物に出かけるのも困難になる時期が来ると思います。そればかりではありません。実に無駄をしているのではないかと思っています。

住宅としては5階建てを限度として土地の有効利用を図り密集して住むことができると水道やガス、下水や道路等全てが現在の延長を短くすることができ、学校や病院、買い物も近くで済むことになると考えられます。例えば水道で考えて見ましょう。短い距離に太い管を敷設して多くの人が利用するのと、さほど太くない管を長く敷設するのでは長く敷設するほうがお金がかかるのです。このお金は水道料金となって利用者が支払うことになります。ガスや電気、下水についても同様なことが言えます。さらにゴミの収集だって長い距離を集めて回るより、一箇所で収集できるほうが効率的です。

 人口の多寡にかかわらずコンパクトな町を作ることによって住民の得られる利益は計り知れません。これから数十年かけてこうしたまちづくりを進め、周縁部は農地に戻して食料自給率を高めることが必要だと思います。

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移管・委託した保育園の保育をどのように見分けていますか

移管・委託した保育園の保育内容をどのように見分けていますか。保育サービスのような人的なサービスの特徴は、サービス内容を形として残すことが出来ないためサービスが行われている現場で内容を確認しなければ、良し悪しを判断することが出来ません。

子どもが自分で考える力を身に付けていくことは大切なことです。良し悪しの判断や他者との係わりを子どもも模索しながらやっています。保育者として係わるときはこうした子どもの考える力や模索に共感しながら、より良い方向を一緒に考えることが必要です。こうした子どもに「いけません」「やめなさい」という接し方がされていたならば、子どもはどうして良いか分からなくなります。一緒に考えてくれないと「言われたままやっていればいいのだ」ということが身について、自主性や自分で考える習慣が薄れていきます。

保育の現場を実際に見てみないと、子どもや子供同士の関係に保育士等の職員がどのように接しているか判断することが出来ません。けれども子どもを預けている側は、そうした時間をとることが難しく、子どもを送ったときやお迎えに行って際に、その日の生活やできごとのトピックを聞いて、細かく教えてくれて優しく接してくれたら良い保育士で、厳しいことを言った保育士は悪い保育士だと思いがちですが、そんな皮相的な見方は避けたほうが賢明だと思います。逆な言い方をすると、子どもが送られてきたときやお迎えに来た際に、保育園での生活を「一部」を上手に伝え、親の思い込みで子どもが多少神経質になっていても、子どもに添うことが出来ない親で子どもにプレッシャーがかかっていようとも、親に子育てについて肩の力を抜いたほうが言いとアドバイスするより、日中の見えない部分を上手に見えたような気分に保護者をさせることが出来れば「良い保育園」ということになるからです。

しかし、親も子どもの成長とともに親として成長するのであって最初から完璧な親なんて居ないわけです。十人十色と言うように答えが1つしかない訳ではありませんが、保育園は保護者と協力して子どもの利益を第一に考え、どうした良いか保護者と話し合うことも必要ですし、保護者にアドバイスをすることも重要な役割だと思います。例えは、虐待の疑いのある子どもが通園しているとすれば、その気づきをもって慎重に子どもの経過を観察するとともに、保護者に対して何気ない会話から家での様子を聞き、今後の方針を園長を中心に立てて保護者に対応していくことになると思われます。必要ならば関係機関と連携を取りながら対応していくことになると思われる。このように保育園は子どもの最善の利益を確保するために、保護者に対する働きかけもしっかり行わなければならないのであるが、保育園が良く思われたいというだけで「保護者第一」になるようでは良い保育園とはいえないのである。

しかし、保護者の就労支援としての側面を保育園は持っているので、これは開園時間として考えることができると思います。

保育園を訪れて感ずることですが、子どもの活動時間にはじめて訪問する保育園において、訪問者を無視するように子どもが遊びに夢中になっていられるような保育園は、おおむね良い保育を行っているといえます。子どもは保育者にしっかり受け止めてもらえているからこそ、両者の間に信頼関係が築かれ、子どもは安心して遊びに夢中になれますが、しっかり受け止めてもらえていないと、誰かに受け止めてもらいたいと、訪問者に接近してくるのです。

 保育園では、保護者に一日保育を体験してもらうような取り組みをしているところがあります。そうしたことが出来るなら、是非休みを取って保育園を一日体験することで保育内容についてしっかり見ることができると思いますので、お勧めします。

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保育園の「公設民営」は是か非か

保育園運営が民間事業者へ移管・委託される公立保育園が増加している。横浜市では訴訟が保護者から提起され地裁では「民間移管は違法」と判断され「1世帯あたり10万円を支払え」と命じる判決をくだしたが、控訴し現在係争中である。

民間に移管・委託する当該団体の理由は、「経費がかかり過ぎる」現在の保育園運営を「経費が少なくて済む」保育園運営に変えたいということである。保育園運営で一番お金が掛るのは7080%を占める保育士等の人件費である。

保育園には保育士のほかに子どもの健康管理を行う看護・保健担当の職員、給食を担当する栄養士・調理員、施設整備を担当する用務員等が配置されています。保育士については、それぞれの団体の考え方で保育園の規模に応じて子どもと保育士の割合に加えて数名の保育士を、休暇を取ったり、風邪をひいたりして休んだときにも保育ができるように加配していますが、それは必要なことだと思います。保育園運営経費のうち7080%を占める保育士等の人件費が高いので民間事業者へ移管・委託を進めようとしているわけです。ではどの位経費が高いのか。

 横浜市児童福祉審議会意見具申「保育サービスの充実に向けて保育所のあり方と行政の役割はどうあるべきか」によれば「定員120名規模の保育所で年間の運営費を公立・民間ともに同じ条件(保育時間・保育サービス・職員配置など)でモデル的に試算すると民間保育所は公立保育所に比べ、運営費が17%下回っています。」としており、横浜市の試算では3年間で2億7,700万円、18%節減できたとしています。

 では、なぜ人間費が高いのか。公立保育園で働く保育士等の職員の給与の位置づけに問題があるのです。横浜市の場合も保育園で働く保育士等の職員のほとんどが、行政職員と同じ位置づけになっています。言い換えるなら「年功序列」の給与体系の上に立っているからです。これは、公務員給与制度に言えることですが、年功序列を変更する必要があると思います。スキル・役割・責任に応じた給与制度に改めるべきだと思います。例えば、保育士が学校を卒業し資格を取得して公立保育園に就職します。学校で勉強したことでひとり立ちして保育できるかといえば、そんなことはありません。ひとり立ちするまでには数年かかるでしょう。しかし、ひとり立ちした後もスキルが毎年高まるかと言えばそんなこともありませんが、給与はスキルとは関係なく毎年上がるシステムになっています。その結果、ある市の保育園職員の1人平均の年間人件費が800万円を超えているという現実があります。平均ですから安い職員もいれば、高い職員もいるわけですが、平均としたら高いと思います。

民間会社では、営業努力がなければ1円の収入も得られませんが、地方自治体は努力しなくとも毎年度、税金が納入されその中から職員の給料が支払われます。ですから、一生懸命働こうが、多少のんびり仕事をしようが「査定」がないので「公平・平等」を旨とする給与制度で不満が出ないようにするには、全体を高くしておくことだと「経験的」に理解しているのだと思います。例えば、保育園職員の給与表を別につくって民間との比較や地域の民間の給与情況を参考にするとすれば、別な展開があるかもしれません。しかしそうはなっていないのです。けれども「ワーキングプア」を作れと言っているわけではありません。1人平均の年間人件費が800万円はいかにも高いといっているのです。

地方自治体が人件費のきちんとした見直しをしない限り、公立保育園が民間事業者へ移管・委託されるのは止むを得ないことです。

民間事業者へ移管・委託されるとしても、保育園は物を扱っているわけではなく子どもの人生の大切な成長期を預かっていることを考え慎重に行ってもらいたいと思います。行政は年度区切りで考え、全職員が入れ替わるような移管・委託を行うべきではありません。子どものことを考え職員の入れ替えには1年くらいかけて緩やかに行うことが必要です。子どもが新しい職員になじむ時間をしっかりとるべきです。

 また、市町村は移管・委託した保育園について、移管・委託しっぱなしでなく、しっかり保育内容についてチェックする体制を経験豊かな保育士等の職員集団でつくり、点検することが必要です。人的なサービスの特徴は、サービスの現場で内容を確認しなければ、後からは確認のしようがないことです。そこで、保育内容について2週間から1月程度保育園に入って保育内容について確認することが必要で、悪ければ改善を求めるか契約を解除することが必要です。そうした結果を、通園している園児の保護者に積極的に情報公開することが必要で、こうしたことを通じて保護者が安心して子どもを預けることができると同時に情報の共有を進めることで、良い保育園作りができると思います。移管・委託しっぱなしの「丸投げ」では、いかに費用が安いとは言え安心できるものではありません。

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保育園待機児解消のひとつの視点

保育園に入園できずに待機児となる子どもが毎年発生している。主に待機児がでるのは大都市とその周辺で、大都市から離れた地域では少子化によって幼稚園や保育園で定員割れの事態が生じているところもある。こういう地域では、「保育に欠ける」という要件がむしろ「足かせ」になって保育園側も保護者も困っているという。かかる事態に対しては、頑なに要件を守ることが必要とは思えないので柔軟な対応こそ必要ではないでしょうか。

さて、待機児の解消についてです。保育園に子どもを預けて働こうと思っても待機児となってしまっては、働くこともできない。

日本の場合、正規雇用の女性が一旦退職すると再び正規雇用で働くには困難が伴う。女性の年齢別就労人口を表すグラフがあるが、20代後半までは就労人口が増加するが、その後、結婚や出産等で離職する女性が多いのでグラフは下降線をたどり、子育てに目途がつくと非正規雇用が増加するため再び上昇線をたどり、年齢とともに下降するいわゆる「エムカーブ(M)」の中ほどの落ち込みが日本の場合は大きいといわれている。

そこで、社会との係わりを持ちながら自分らしく生きようとしても、保育園に入れず「待機児」になってしまい阻害されるとしたら大きな問題です。解決法は保育園を新しくつくることです。

4・5歳児のほとんどは幼稚園か保育園に入っています。3歳児以下の子どもが入れなくて困っているのです。しかし、昨日書きましたように3歳児以下は保育士1名に対する子どもの数が少ないために4・5歳児に比べれると保育士がより多く必要なため人件費がかかります。そこで、保育の実施者としての市町村は、保育園を増やして一気に待機児を解消するようには動いていないのです。そして、保育事業が「規制緩和」されて株式会社も参入することが出来るようになりましたが、「表向き」の規制緩和であって多くの制限がかかっています。例えば、借金をして土地を取得し保育園舎を大都市とその周辺で建設しても、その借金の返済すら出来ないように縛られています。ですから、株式会社による新規の保育園建設が進むはずがないのです。また、社会福祉法人や地方自治体が保育園の建設を行おうとしたときでも、用地取得にかかる国や都道府県からの補助金はありません。大都市とその周辺では、保育園舎建設費より土地取得費のほうが高いくらいです。さらに、遊休の国有地が近くに有っても保育園施設は貸与の対象にもなっていないので、その国有地が売却されマンションが出来て保育ニーズが高まっても借りることすら出来ないのです。

小泉政権の時には、「待機児をゼロ」にするというスローガンを掲げました。ゼロにするどころか待機児が毎年発生している事態に対して、国はしっかり現実を見据え必要なところにはキチンと予算を手当てしてもらいたいものだと思います。

少子化と団塊の世代の大量退職によって労働人口が減少し、外国人労働者に頼ろうとする動きがあります。今は出口が見える政策として考えているかもしれないが、やがて様々な混乱の元になりかねない点は、ドイツやフランスに学ぶべきだと思います。

 まずは待機児の解消のため、保育園を新設する施策をしっかり行って、子育てしやすい環境を整えることを優先すべきと思う。

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子育て支援の施策・・2

東京都における保育園の現状は、認可保育園、東京都が独自に行っている認証保育園、東京都の制度として行っている保育室、東京都制度の家庭福祉員(保育ママさん)、その他未認可の職場保育所などがある。

認可保育園~認証保育園~保育室の順で職員配置や面積基準が緩くなる。認証保育園、保育室については、東京都及び入園児を抱える市町村は、東京都が定める基準の2分の1ずつ負担するほか、保護者に負担を求めていて、認可保育園に比べ負担額が多くなっている。区市によっては利用者助成を行っているところもあるが、負担の均てんが図られていないところもある。つまり、子育てに対して区市町村の助成が一律になっていないところもあるのである。

認可保育園は、区市町村立の保育園のほとんどが子どもが運動できるように「園庭」を持っているが、私立の認可保育園、認証保育園は、園庭があれば良いほうで園庭のないところがほとんどだろう。特に利便性の高いJRや私鉄の駅に近い保育園では「園庭」を設ける施設整備に捻出できるゆとりを持つような事業者はいないと思われる。子どもは3歳くらいから体を動かし様々な運動能力を獲得していく。園舎に遊戯室があってもアウトドアで体をのびのび動かすほどのスペースは持ち得ないであろう。また外気浴をすることも大切だ。閉鎖された室内では子どもも閉塞感を持つため、「園庭」がなければ「お散歩」として近くの公園に出かける機会を園で実施していると思われる。

保育室及び家庭福祉員の利用は、0歳から2歳までのお子さんであろうから外気浴ができるスペースと沐浴できる施設が整っている必要があるほか、2歳児とは4月1日現在において2歳であって、4月生まれの子はすぐに3歳になるため安全に動き回れるスペースが必要になってくる。

幼稚園は、3歳児以上のお子さんが通園しているが学校教育法に基づく規制を受けるため、幼稚園設置基準によって1学級35人以下で1人当たり5㎡前後の運動場を設けなければならないことになっている。

幼稚園の保育料は、私立が多いため高いところから比較的入り易いところまであって比較が難しいが、公立の場合では、入園料がなく月々の保育料も2万円から2万5千円程度になっているようである。そして、保育園との大きな違いは、保育園は必ず給食があるが、幼稚園はお弁当を持っていくか保護者の便宜を考えて別途費用負担をお願いしながら園でお弁当を提携業者に頼むか独自に給食を提供している。(つづく)

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子育て支援の施策

先日の市町村の首長・議員の選挙で都市部の多くの候補者が「子育て支援の充実」を掲げていた。今後どのように子育て支援施策を充実して行こうとしているのであろうか。国においても「子どもと家族を応援する日本重点戦略検討会議」が設置され検討が始まろうとしている。

女性が一生涯に産む子どもの数が合計特殊出生率として示され、その率は、戦後ほぼ一貫して低下傾向を示し平成17年は1.25となり、人口を維持に必要な2.08を大きく下回り、その差は0.83となっている。

日本の人口は、江戸時代はほぼ3千万人台で推移していたが、明治以降それまでにない人口増加が始まり、ほぼ150年間で3倍強の人口増になった。これが減少傾向をたどり始めた。人口問題は別な機会に譲り子育て問題について考えてみたい。

国は、少子化問題と考えているようであるが、少子化問題と子育て支援は異なる。少子化問題は人口減少に対する問題で、子育て支援は子育てしやすい環境整備の問題であろう。少子化問題を無理やり多産に結びつけるのは、個人の問題へのオーバー・コミットメントであろうと考えている。

子育てしやすい環境とはどういうことか。子どもは保護されなければ成長することはできない。自ら生命力を持っていたとしても生きる糧や環境を自ら取得することができない。そこで、子どもとの関係を縦と横の関係として考えてみると、子どもは差し当たり両親に愛しみ保護されることが必要で、そうした関係から生み出される愛着関係の形成は、疑いを抱かず安心して信頼が持てる対人関係を形成していく子どもの発達にとって欠かせないものとなっている。そうした基礎の上に人間が社会的な動物であるためには、円滑な対人関係を形成したり他者と衝突しても修復できる力を養っていくことになる。

子育ての現状はどうなっているであろうか。0歳から2歳までのお子さんの80%以上は在宅で子育てされている。この年齢のお子さんで保育園利用されているのは極めて小数である。3歳でおおむね半数、4歳、5歳ではプレ小学校として幼稚園に通園している児童も多いことから、保育園にも幼稚園にも通っていないお子さんは2%弱とごく少人数である。

 保育園は、お子さんが長時間にわたって生活する場となっている。一方幼稚園は、基本は1日4時間であるが、預かり保育と言って保育園と変わらない時間在園しているお子さんがいるほか、最近は夏休みも冬休みも春休みも預かり保育を行う幼稚園が現れている。そこで、長い時間おおぜいの子どもといると、子どももストレスがたまる。保育園では4歳児は無論、5歳児でも夏前頃までは「午睡(昼寝)」をして心を安定させる努力を行っている。幼稚園は教育機関であるので「午睡」という考え方はない。幼稚園では、基本の4時間は子どもが集中力を高めて課題をこなしていく時間になっている。基本の4時間を担当している教諭と預かり保育を担当する保育者が殆どのところで異なっているのが幼稚園の現状である。(つづく)

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高齢者保健に思うこと

平成12年4月に介護保険制度がスタートした。老年人口の増加に伴い高齢化社会から高齢社会へ変化する中で、平均寿命が伸長し世界に冠たる長寿国となった日本であるが、必ずしも健康でいつまでも暮らせるわけではない。健康で暮らせるいわゆる健康寿命と平均寿命が一致しているのが、本人にとっても家族にとっても社会にとっても望ましいかもしれないがそうはなっていない。年齢を重ねれば体のどこかに不具合が出てくるのは自然なことで、不具合と上手に付き合っていくことも必要なことである。

介護保険は、高齢者人口が今後ますます増大し、国及び都道府県、市町村の負担が増えることを抑制しようと、平成17年10月から食事及び室料については全額自己負担となった。そして、平成18年4月に介護報酬が改定され、在宅を重視したこと、そして、特別養護老人ホーム等の入所施設ではそれまでの包括的な報酬からサービス提供ごとに加算する体系に変更された。このことによって施設では軒並み数千万円の減収になって、運営費の見直しを一層強化している。今回の介護報酬の改訂が、国の予算の削減ありきがスタートであって、高齢者人口が増加するにもかかわらず抑制していこうとするところに無理があるような改訂である。

特別養護老人ホーム等の入所施設では、介護保険が施行される前と後で大きく違う点は、非正規職員が増大したことと、正規職員の人件費が大幅に切り下げられたことである。そして、昨今の一定の景気回復による雇用情勢の変化で、どの施設でも職員の欠員が生じている。勿論、給料等の処遇が良ければ、職員を集めるのに苦労しないと考えられる。しかし、厚生労働省の事務次官である辻さんが、局長時代にある会議の中でそのことに触れ「介護報酬の問題点としてある」と認めているように、重要な仕事の割りに、給料が悪いため離職率が高くなっている。従って、継続して働ける労働環境と給料等の処遇を改善することができるような介護報酬にならないと、「練度の低い」職員に介護される施設になってしまい、「介護に質・練度の高い」職員に介護される施設は望むべくもないものになってしまう。そうすることが国の本当の狙いなのかもしれない。

しかし、介護保険を使わずに過ごせることが本人にとっても望ましいことであろう。そこで、年齢を重ねれば体のどこかに不具合が出てくるのは自然なことであるが、それを防止するために積極的な健康づくりが必要になっている。足の衰えが外出や友達等の交流を遠ざけるので、積極的な健康づくりとしてウォーキングが良いといわれている。そして、若干負荷の係る筋力トレーニングで筋力等を維持することが健康で暮らすための工夫として必要と言われている。

 これらについて、介護保険費用の削減に熱心であるばかりでなく、国、都道府県、市町村が、一体となって積極的に住民に対してプログラムを用意・提供することが必要ではないのだろうか。筋力や体力の衰える低下曲線の下がる角度を緩やかにする取り組みが限られた対象ではなく、広く高齢者に対する施策としてますます必要になっていると思う。

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地方選挙第2ラウンド

いよい地方選挙の第2ラウンドが始まる。首長と地方議会議員です。

現在、国も地方も「財政難」続いています。しかし、一方で課題も多いから、これにも応えてもらわないとならない。財政難だからといって使用料や手数料の安易な値上げは止めてもらいたいです。

そこで、始めに首長である。首長は行政官であると同時に政治家でもある。特に後者の役割が近年高まっています。地方が主体性と創造性を発揮しなければならなくなってきているからです。よく言われていることですが、護送船団方式から主体性と創造性を発揮するようなシステムに大幅に変更されてきました。地方交付税制度が全国どこでも同じサービスを提供する仕組みの支えとなっていましたが、交付金が削減され、交付金の補償を見込んで取り組んできた事業についても、制度変更のあおりを受けている現状にあります。

こうなると、本来の姿、最小の経費で最大・最良のサービス提供を行うには、「今までどおり」ではやれなくなっていますので、様々な工夫、そして住民の利害調整や市町村では都道府県・国への働きかけが必要になってきます。

地方自治のなかで最小の経費で最大・最良のサービス提供を行い豊かな市民生活を築くためにいくつか新しい制度が近年作られました。民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(通称、PFI法)、公の施設の指定管理者制度、地方独立行政法人法、競争の導入による公共サービスの改革に関する法律(通称、市場化テスト法)等があります。これらはいずれも手段であって、取り入れることが目的ではありません。しかし、一部の自治体を除いてはこれら制度が充分活用されているとはいえない状況にあります。そしてまた、必ずしも現在は制度にないが工夫によって、もっと効率的な方法を「開発」することができないだろうかと思います。一面では、国の補助金等を受けた施設は用途が厳しく制限されているのも事実です。しかしながら、もっと地方の自由度を拡大して創意工夫できるように原則を示す程度にしなければ、効率性を追求したり無駄を省くこともできなくなります。しかし、自由度の拡大には責任を伴い、当事者能力に欠けるようでは危険ですらあります。

また、地方が最小の経費で最大・最良のサービス提供を行うには、上記の制度を活用して行ったサービス提供について自らがきちんと評価する必要があります。「安かろう、悪かろう」のサービス提供は排除する必要があります。例えば指定管理者制度は、公の施設の管理・運営について、以前は委託できる相手先を限定していましたが、指定管理者制度では、「公の施設の設置の目的を効果的に達成」することができるならば「法人その他団体」誰もが指定管理者となるため手を上げることができるようになりました。これは「事前規制」から「事後規制」へと変化したわけですから、評価をきちんと行わないと「事後規制」が死文化してしまいます。そして、ここで大事なことは「利用者満足度」だけが指標になり得るかということです。受益と負担が均衡しているかが問題です。民間企業が提供するサービスについては、企業はトータルとして提供するサービスの収支についてはバランスさせています。そして利用者はバリュージャッジして利用することを前提にしていますから、受益と負担は均衡していると考えられます。しかしながら、公共サービスについては、税が投入されたりしますと「安い」ということで「利用者満足度」が高くなることがあります。あるところでは施設の利用が高まると税の投入額が比例して多くなる傾向をもつ施設を経営しています。受益と負担が均衡していないことを示しています。こうしたことを一方で行いながら他方で使用料や手数料の値上げを行うとすれば「取りやすいところから取る」と批判されても仕方がないと思われますし、上記制度を上手に活用しているとは言えないと思います。利用者が住民のうち少数であって特定される場合には、低所得者には一定の配慮をする必要があると思いますが、原則は受益と負担を均衡させることが必要であると思われます。

しかしこうしたことについて、現在は分かりにくいシステムになっています。そこで、分かりやすい積極的な情報公開が必要で、少なくとも事業ごとに民間会社で言う損益計算書程度の情報が必要です。こういう取り組みに積極的であるかどうかが首長としての資質を見極めるひとつのポイントと思われます。

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